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ノスタルジックな時間

過去の日めくり帳
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ヘルメットを被ったおじさん

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そういえば不思議な事がもう一つ。

あれは中学生の頃の事。

実家の近所に老夫婦がやってた小さな駄菓子屋さんがあった。

その駄菓子屋さんは「ちびまる子ちゃん」に出てくるみまつ屋?さんのような、木造のこじんまりとしたお店で、小さい頃には10円を握りしめてよく買い物に行ったりして、近所の子供たちの憩いの場でもありました。

そんな駄菓子屋さんもkashineeが中学生になる頃には、お店も閉めてしまって、しばらくは空き家状態になっていました。

そんなある日、何故か近所でこんなうわさが出始める。

「あの店の壁にヘルメットを被ったようなおじさんの影が出る。」

その当時は打ちつけられた木の影がそういう風に見えるだけだろう。。。そう思ってました。

でもよくよく話を聞くと、「見える時と見えない時があって、ごく稀にそれが出現する」という事。



ある日、「その影が現れた~!!」って近所でも評判になって、見に行ったんですよー。

家族総出で・・・。




壁を見てみると・・・、噂以上に人影がくっきり。

まるでヘルメットを被ってるような、やや前かがみで横向きに立っているような人の影。

まぁ~不思議です。横から見てみても影をなすような形のものが無い。

そこに集まってきたおじさんもおばさんも、大の大人が眺めてもそれを作りだす物が無いという不思議。

上のイラストのように(スコップは持ってませんでしたけど)たたずむ土木作業員のようなお姿。(立ち○ョンしてるように見えると言っていた人も・・・)

本当に不思議でした。

その時出来た影は、1週間ぐらいそこに佇んでいましたね~。

そしてその影が消えてからというもの、その後一切現れる事が無かったという、これまた不思議。

近所だったので、そこを通る度に見ていたkashineeとしては本当に信じられないくらい不思議な事でした。

あの作業員風のおじさんは一体何者だったのか?

まぁ~偶然の産物だったのだろうと思いたいですが、未だに謎の出来事でした。

ただ、全くもって怖いものではなく、影を触るおじさんやおばさんもいたりして、その辺りで亡くなった人もいませんでしたから・・・何だったんだろうと思います。



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こっくりさん

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こんにちはkashineeです。

70年代、kashineeが中学生だった頃、全国的に「こっくりさん」が流行りました。


70年代はまさにオカルトブームまっさかりで、教室のあちこちで「こっくりさん」をやってる姿が目に付いた。
誰々が10円玉から指を離したからこっくりさんが怒って「呪ってやる」と言ったとか、誰々が取り憑かれたとか・・・。
色々と馬鹿げた話が出始めて、教室内がパニックになった事もあったよー。
そんな中学校では「こっくりさん禁止令」が出るまでになってしまった。


だから放課後こっそり友達3人集まってやっちゃったんだよねー「こっくりさん」

土曜日の放課後。。。(よく覚えてるでしょ)

紙に五十音字に鳥居マーク、入口、出口、はい、いいえを書いて、10円玉に指を乗せる。
乗せた指はお狐様が帰るまで離しちゃだめ!!
これだけ守れば大丈夫なんだから・・・。
そんな感じでやりだしました。

思春期の女子の質問はこんな感じ
「こっくりさん、こっくりさん○○君の好きな人は誰ですか~?」みたいな・・・。

いろいろ質問しているうちに、指を乗せた10円玉がグルグルグルグル回り出して止まらなくなっちゃって
「帰ってください」と言っても「いいえ」としか答えない。

だんだん焦る私達・・・。

「どうする?」「指離そうか?」「いやいや呪われるでしょ」的な会話の中、一人が「どうしたら帰ってくれますか?」って質問したら
「あ・ぶ・ら・あ・げ」って文字を刻んだ。

「油揚げが欲しいんですか?」って聞いたら、「はい」って動いたんだよ~。
こっくりさんはやっぱり油揚げがなんだーって3人で納得。
「でも何処に持ってけばいいの~?お稲荷さんって町に無いよね~」また質問してみる。
「どこに持っていけばいいですか?」って・・・。
そしたら「う・み」って出た。

よくよく考えたら、私の町には海岸から海に出た浅瀬に鳥居があったのだよね。
今でこそ、その鳥居は無くなったのだけれど、その当時は赤い鳥居が立っていたのだ。
「海に油揚げを流します。お帰り下さい」
これでようやく帰って行ったこっくりさんでした。

その後、3人で自転車飛ばしてその鳥居めがけて油揚げを放り投げましたとさ・・・。(ちゃんと手も合わせましたよ。。。)


後日談ですが、誰もその鳥居が赤いお稲荷さんだということは知りませんでした。
(町からはかなりな距離があるので滅多に行かないところです。)

海を鎮めるために建てられたものなのだと思います。
今では波にさらわれたのか、海水で朽ちたのか、理由は分かりませんが跡形もなくありません。





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